静岡市の文化財

東海道 東と西が出会う場所

江戸幕府の政策

参勤交代

寛永12年(1635)の武家諸法度において、参勤交代はそれまでの自主的なものから制度的に義務付けました。参勤交代により、街道の交通量は増大しました。

朝鮮通信使・琉球使節

朝鮮通信使は、将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して派遣されました。興津の清見寺には、訪れた朝鮮通信使によって贈られたさまざまなものが残されています。
また、琉球使節は、琉球国王即位に際して派遣される謝恩使と、将軍代替わりの際に派遣される慶賀使がありました。
両者の通行は、街道沿いの人々にとっては負担を課される迷惑なものであると同時に、行列見物は楽しみの一つでした。行列が行進の際に行っていた舞などは地域の芸能に影響を与えたといわれ、これらの使節の通行は文化交流の側面も持っていました。

「旅茶箪笥」楞厳院蔵

「旅茶箪笥」楞厳院蔵

左:『東海名区』懸板右:燭台「朝鮮通信使関係資料」清見寺蔵 より

左:『東海名区』懸板
右:燭台
「朝鮮通信使関係資料」清見寺蔵 より

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