歴史博物館建設中
2020.05.27「今川氏」の展示について紹介します! (第二弾)
5月15日のブログでは「今川氏」の展示について紹介しました。
今回はさらに、歴史文化施設で展示するため昨年度新たに購入した今川氏に関する実物資料をひとつ紹介します!
【今川範国書状】
この資料は、駿河今川氏初代・今川範国(いまがわのりくに)の書状です。
今川氏は、この範国が駿河守護職に任命されたことで駿河へとやってきます。
範国は駿河にやってきた今川氏「第一号」というわけです。
今川範国は室町幕府の初代将軍・足利尊氏の一門で、戦でも活躍しています。
「今川氏」というと、ドラマなどでの描かれ方から、
公家風の雅なイメージを思い浮かべる方が多いと思われますが、
範国は足利尊氏から戦での戦いぶりを評価され、
その戦功として遠江国、次いで駿河国の守護に任命されています。
勇猛果敢に戦う武将といったイメージが思い浮かびますね。
では、書状の内容を見ていきましょう。
まず、なぜこれが範国の出した書状だとわかるのでしょうか。決定的な証拠はこちら...!
黄色で丸く囲んだ部分は今でいうサイン(署名)のようなものです。
このサインが範国のものなので、範国の書状だということがわかります。
このサインのことを「花押(かおう)」といいます。
この書状の中で実際に範国が書いているのは花押の部分だけで、
他の部分は全て「右筆(ゆうひつ)」が書いています。
「右筆」とは、文書などの清書や、合戦などの記録を行う人のことを言います。
書状のあて先は「松井兵庫丞(まついひょうごのじょう)」という人物です。
あて名は書状の最後の部分に書かれています(黄色で囲んでいる部分)。
現代だとあて名は初めに書くのが一般的ですが、昔の書状は宛名を最後に書くことがほとんどです。
本文には、
「井伊城(浜松市)を攻撃するため、兵粮所として駿河国池田郷(静岡市駿河区池田)の年貢を
徴収する権利を松井兵庫丞に与える」
という内容が書かれています。
「池田」や「井伊城」など、現代の静岡にも残る名称が出てくるとぐっと身近に感じますね。
書状の日付は「建武5(1338)年5月27日」です。偶然にもこのブログをアップした日と同じ日付です!
今からちょうど682年前に出された書状ということになります。
範国が駿河守護職に就任したのは書状が出された年と同じ1338年と考えられているので、
守護になって間もなく出されたものと思われます。
駿河の今川氏の歴史はこの今川範国から始まったのです。
この実物の書状を見ながら「今川氏の歴史」の始まりに思いを巡らせ、
今川氏を身近に感じてもらいたいと考えています。