静岡市の文化財

静岡市歴史文化施設

2020.04.09歴史文化施設「展示トーク会」でいただいたご意見にお答えします

2月19日(水)に開催した歴史文化施設「展示トーク会」では、質疑応答やアンケートを通じてたくさんのご意見やご感想をいただきました。アンケートの集計結果については先日こちらでお伝えしたところですが、これから2回に分けて、いただいたいくつかのご意見に個別に回答をしていきたいと思います。

まず今回は「展示の柱が家康の甲冑2領のコピーでいいの?」というご意見にお答えしたいと思います。

「徳川家康」と聞いて皆さんはどのような姿、人物像をイメージするでしょうか。静岡市に暮らす皆さんは家康を身近に感じ、多様な家康の姿をイメージすることができるかもしれません。

静岡市には3体の徳川家康を表す像があります。静岡駅前に建つ竹千代時代の幼少期の姿を表したものと、采配を手にする勇壮な壮年期の姿を表す二体の銅像、また駿府城公園に建つ大御所時代の貫禄ある姿の銅像です。これらを日ごろ目にする機会がある皆さんは家康の姿をイメージしやすいのではないでしょうか。

この3つの銅像が表すように、徳川家康は幼少期、壮年期、老年期の3つの異なる時代を静岡市で過ごしました。この3つの時代を合わせると約25年という歳月になり、これは家康の人生の三分の一にあたります。このような静岡市と家康の深い関りから、歴史文化施設では、一時期の限定された時代だけでなく、「家康の一生」を見せ、一人の「人間としての家康」にせまっていきます。こういった展示ができるのは全国でもここ静岡市だけなのです。

そして「家康の一生」を展示で物語るうえでなくてはならないのが、現在復元模造品製作を進めている二領の甲冑です。

「紅糸威腹巻」(くれないいとおどしはらまき)(静岡浅間神社所蔵)

  家康が着初め(初めて鎧を着用する儀式)の時に、今川義元から贈られたものと伝えられる。

  家康の武将としてのスタートを象徴する甲冑です。

「伊予札黒糸威胴丸具足」(いよざねくろいとおどしどうまるぐそく)(久能山東照宮博物館所蔵)

  家康が関ヶ原の戦いで着用したといわれ大坂の陣でも身近に置いて勝利を招いたことから吉祥の鎧と

  尊ばれる。家康の武将としてのゴールを象徴する甲冑です。


家康が元服した歳は14または15歳といわれています。この頃今川義元から贈られたのが「紅糸威腹巻」です。実際にこの甲冑を目の前で見てみると、想像以上に小さく胴回りが細いことに驚かされ、天下人徳川家康にも当然のように子ども時代があったということを改めて思い知ります。

一方、伊予札黒糸威胴丸具足を見ると、黒漆で塗られた重厚な質感やがっしりとした胴回りから、武将としての貫禄や威厳を感じ取ることができます。

博物館の展示室でこの二領の甲冑を目の前にしたとき、家康の武将としての成長と、天下人に至るまでの長い道のりを想像し、感じることができるでしょう。一人の人間としての家康の想いや、駿府との深いかかわりを表すために、この二領の甲冑は静岡市の博物館の展示に欠かせないものなのです。

原物は常時展示することが難しいため、復元模造品を製作することになりました。

この復元模造品は単なるコピーやレプリカとは違います。当時の製作技術、材料にこだわりながら甲冑が作られた当初の姿を精巧に再現するものです。そのために必要になるのが材料や染料の成分分析等の詳しい調査です。この製作が新たな発見、研究につながるかもしれません。またこの復元模造品製作自体が後世に伝えるべき技術の伝承にもなります。

博物館では製作過程も紹介し、一部、部材も展示する予定です。原物をそのまま見るだけでは、なかなかわからない金具の細やかな意匠や、漆を塗る前の小札(こざね)の様子などもご覧いただけます。

こうして、家康が目にしたであろう当時の姿そのままに二領の甲冑が博物館でよみがえります。今川義元から贈られた紅糸威腹巻の鮮やかな紅色を、家康はどのような想いで見つめたのでしょうか。家康が見た色と同じ色を間近に見つめて、家康の一生や駿府の歴史に思いをめぐらせ、その歴史がいま静岡で生きる私たちまでつながっていることを実感してほしいと思っています。

次回は「静岡にゆかりといえば今川氏。今川氏の歴史がすべて勉強できる施設を建設してほしい」というご意見にお答えしていきます。「今川氏」の展示がどういったものになるのか詳しくご紹介していきます!

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