歴史博物館建設中
2019.03.22今川義元は下戸だった!?
前回に引き続き、公家の山科言継の残した日記について紹介します。
言継が駿府を訪れるきっかけとなった養母は、寿桂尼の妹でした。
そのことから言継は寿桂尼やその息子である今川義元、さらに義元の息子の氏真とも会って、
一緒にお酒を飲んだり、和歌を詠んだりしています。
ある日、義元や寿桂尼と一緒にお酒を飲んだ言継、「前後不覚になる程酔っ払ってしまった...」
なんてことも書いてあります。この日、義元も寿桂尼もご機嫌が良かったそうです。
さらには「太守(義元)は下戸だが十数杯飲んだ」などとも書かれています。義元は下戸だったのでしょうか?
十数杯も飲めるなら下戸とは言わないような気もします。とにかく言継は相当な酒豪だったことがうかがえます。
この日記を読むと、今川義元や寿桂尼のことをぐっと身近に感じます。
お酒を飲んだり、歌を詠んだり、私たちと同じ生身の人間として感じることができます。
今川義元というと、どうしてもドラマなどで描かれる公家かぶれのイメージが先行しがちですが、
実際はどんな人物だったのでしょうか。そもそも、230年もの長きにわたり駿河の地を安定的に治めた今川氏とは、
どのような一族だったのでしょうか。
2021年に開館する静岡市歴史文化施設では、静岡市ならではの博物館として、この「今川氏」について、
常設展示で詳しく紹介します!展示予定の今川氏木像の複製品製作のための調査も着々と進んでいます。
また、今年は「今川義元公生誕500年」という節目の年でもあるので、
義元や今川氏に関する展覧会(4/27~、文化財資料館・駿府城巽櫓)、
そして臨済寺の歴史資料調査中間報告の講演会(5/11、アイセル21)も行う予定です。
日時や会場、申し込み方法などの詳しい情報はこちらのページでも紹介していきますので、
皆さん楽しみにお待ちください!
【木像調査の進捗状況についても今後紹介していきますのでご期待ください】