歴史博物館建設中
2018.11.26(仮称)静岡市歴史文化施設ってどんな施設?(第5回)
今回はいよいよ展示の内容について紹介していきます!
展示の主要テーマとなるのは徳川家康公です。
「家康」と聞いて、皆さんはどのような姿を思い浮かべるでしょうか。
家康公は75年の生涯のうち、3度駿府に暮らし、約25年の歳月を過ごしました。
ただ長い時間を過ごしただけではありません。
一度目の駿府暮らしは、今川氏のもと人質として過ごした8歳から19歳ころまでの約11年。
ここで、元服、結婚、初陣と、武将としての人生がスタートしました。
二度目は、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五か国を領有し、駿府を拠点とした45歳からの約4年。
最後は、将軍職を二代秀忠に譲ったのち、
江戸から駿府に戻り大御所政治を行った、66歳から亡くなるまでの約10年。
先ほどの駿府城公園の家康公像はこの大御所時代の姿を表しています。
このように、家康公は年代も状況も全く異なる3つの期間を駿府で過ごしました。
上の写真は以前こちらのブログでも報告させていただいた、甲冑の調査の様子を写したものです。
この甲冑は「紅糸威腹巻」(くれないいとおどしはらまき)といって、静岡浅間神社が所蔵するもので、
家康公が着初め(初めて鎧を着用する儀式)の時に、今川義元公から贈られたものと伝えられています。
想像以上に小さく、胴回りの細いこの甲冑を見ると、
天下人家康にも当たり前のように子ども時代があったことを改めて思い知ります。
歴史文化施設では、この甲冑の復元模造品を展示する予定です。
可能な限り実物と同じ材料を使い、製作当時の手法にこだわりながら、
現在、復元模造品の製作が進められています。
そして、もう一領復元製作を進めているのが、家康公の人生を語る上で忘れてはならない甲冑、
「伊予札黒糸威胴丸具足(歯朶具足)」(いよざねくろいとおどしどうまるぐそく)(しだぐそく))です。
こちらの甲冑は久能山東照宮が所蔵するもので、家康公が関ヶ原の合戦で着用したと伝えられています。
大坂の陣でも身近に置いて勝利を得たことから「吉祥の鎧」として尊ばれました。
「紅糸威腹巻」が武将としてのスタートを象徴する甲冑とすると、
こちらの「伊予札黒糸威胴丸具足」は武将としてのゴールを、そして「天下人」となった家康公を
象徴する甲冑といえると思います。
完成した歴史文化施設を訪れ、この二領の甲冑を目の前にしたとき、
きっと、家康公の波乱に満ちた一生が現実味を帯びて、頭の中に浮かび上がってくることでしょう。
家康公を一人の人間としてとらえなおし、その一生について思いを巡らせ、学び、想像することができる。
これは「駿府」の地に建つ歴史文化施設だからこそできることだと思います。
また、家康公と駿府の関わりを知ることは、今川氏や、駿府城、城下町や東海道の変遷についても
知ることにつながります。
家康公の一生を紐解くことで、静岡の歴史、そして魅力を改めて知ることができるのです。
歴史文化施設では、駿府と家康公の関わりから浮かび上がる「今川氏」や「大御所時代の駿府」、
「駿府城下町や東海道の変遷」などについても取り上げていく予定です。
次回はそちらについてもご紹介していきます。