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近世の静岡市 〜江戸〜
徳川家康
徳川家康(とくがわいえやす)は、長く続いた戦国時代を勝ち抜き、およそ260年続く江戸幕府を開きました。家康は、幼少期(ようしょうき):1547年~1560年・壮年期(そうねんき):1586年~1590年・晩年期(ばんねんき):1607年~1616年と、75歳の生涯(しょうがい)のうち約3分の1の時間を駿府(すんぷ)で過ごしました。
特に、将軍職(しょうぐんしょく)を息子秀忠(ひでただ)に譲(ゆず)った後、大御所(おおごしょ)となって駿府城(すんぷじょう)に住んだ家康は、現在の静岡市中心部の町づくりを行いました。呉服町(ごふくちょう)や紺屋町(こんやまち)など、家康の時代につけられた名前をそのまま受け継いでいる町が今でも多くあります。
1616年駿府城で亡くなった家康は、遺言(ゆいごん)により久能山(くのうざん)に葬(ほうむ)られました。久能山には、家康の愛用品(あいようひん)がたくさん残されています。
【家康ゆかりの地】
駿府城・久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)・浅間神社(せんげんじんじゃ)・臨済寺・宝台院(ほうだいいん)・来迎院(らいごういん)・円光院(えんこういん)


家康の自画像 宝台院蔵


駿府城の東御門と巽櫓
東海道
東海道(とうかいどう)は、江戸と京都を結ぶ重要な街道(かいどう)です。江戸時代の東海道には53の宿場(しゅくば)があり、そのうちの6宿(しゅく):丸子(まりこ)・府中(ふちゅう)・江尻(えじり)・興津(おきつ)・由比(ゆい)・蒲原(かんばら)が静岡市にありました。
江戸時代には、旅の安全が確保されたこと、旅に必要な施設が整ったこと、「名所図会(めいしょずえ)」などの旅の案内本が多く出されたことから、武士だけではなく多くの庶民(しょみん)も旅をしました。
静岡市内の旅の名所といえば、久能山東照宮に三保松原(みほのまつばら)、難所(なんしょ)と言われた宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)や薩埵峠(さったとうげ)があげられます。
また、旅の楽しみとして欠かせない名物としては、安倍川の安倍川餅や丸子のとろろ汁や江尻の追分羊羹(おいわけようかん)が多くの旅人に愛されました。
現在の静岡市内の6宿では、興津・由比・蒲原などが宿場町(しゅくばまち)の面影(おもかげ)を今に伝えています。


東海道図屏風 右隻・左隻【静岡県指定有形文化財】(静岡市蔵)
市内の6つの宿と2つの難所が描かれています

歌川広重『東海道五十三次名所図会(蔦屋版)興津』(静岡市蔵)
川を渡る旅人の姿が描かれています