駿府城跡天守台発掘調査 発掘情報館 きゃっしる[別館]
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駿府城跡天守台発掘調査現場内で発掘調査速報などを発信している「発掘情報館 きゃっしる」の別館(電子版)として、関連情報をいち早く知りたい方や、現場へ実際に来られない方に向けて、最新情報をこのページよりお届けします。
最新情報
- 2021.01.22
- 【延期】天正期天守台シンポジウム開催延期のお知らせ
- 2021.01.22
- 発掘現場で見られる野生の生き物達
- 2021.01.18
- 見学ゾーンの道幅を広げました!
- 2021.01.07
- 東御門・巽櫓の展示リニューアルについて紹介します!(その4)
- 2021.01.04
- 令和3年2月11日(木・祝)に開催を予定していた「天正期天守台シンポジウム」の開催を延期します
早わかり駿府城

天守はなぜ江戸時代の初めになくなったのか
明治時代に廃城になるまで、火事や地震で被災する度に天守台や他の建物は再建されたのに対し、寛永12(1635)年以降天守が再建されることはありませんでした。これは徳川家による江戸幕府の体制が盤石なものとなり、戦や権威のシンボルであった天守が必要ない、天下泰平の世になったことを示すと考えられています。
現在の駿府城
駿府城には三重の掘がありましたが、市街地化などによって埋め立てられ、幅が狭くなりました。現在では二ノ丸堀(中堀)より内側が駿府城公園となっており、宝暦年間(1751~1763)の修復記録に基づいて、東御門や巽櫓などが復元・公開されています。