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文化財ブログ
2020.11.19駿府城大改修に関する新資料が発見されました!
江戸時代の初め、徳川家康は将軍職を息子の秀忠に譲り、大御所となって駿府へ戻ってきました。
その時に、駿府城を自らの居城とするため城の範囲を拡張し大改修を行いました。
この改修工事は「天下普請(てんかぶしん)」と呼ばれ、幕府の命令を受けた全国の大名たちによって行われたため、当時の駿府にはたくさんの人が集まりました。
今回、熊本大学永青文庫(えいせいぶんこ)研究センターにより発見された新資料は、工事に参加した大名家のひとつ、小倉藩細川家が交付した掟書(おきてがき)です。
掟書の画像をご覧になりたい方はこちらをクリック(熊本大学図書館HP)
この掟書は細川家当主の忠興(ただおき)が工事の現場責任者4名に対して交付したもので、駿府の普請場や駿府までの道中で守らなければならない規律を13か条にわたって書き上げたものです。
例えば、どんな掟があるかというと...
・お酒は小盃3杯までにせよ
・町へ出るときは用事の内容を奉行に申告して許可書を取ること
・よその家中と、また幕府衆と会合を開くのは厳禁
・相撲を取ること、また見物も普請中は厳禁、違反者は成敗する
・よその家中の湯風呂に入ってはならない
などなど、かなり細かく取り決められています。
小盃3杯では物足りない!というお酒好きの人々の悲鳴が聞こえてきそうです。
相撲についても見物しただけで成敗されてしまうなんて、とても厳しい掟ですね。
なぜここまで細かく、厳しい掟があるかというと、とにかく他の大名家の普請衆と争いが起こらないようにするためです。
よその家中のお風呂に入ってはいけないというのも、一見なぜ駄目なのかと疑問に思いますが、風呂に入る際、刀や衣服を脱ぐので、それらが無くなったり、盗まれたりという事態が発生すればそれが争いの元になってしまいます。
このような紛争の元となる小さな火種を絶やすため、この掟が作られました。
掟書の詳細な解説はこちらをクリック(熊本大学HP)
天下普請による城づくりでは全国の大名家からたくさんの労働者が集まりました。
その様子を描いたとされる「築城図屏風」という屏風が名古屋市博物館にあります。
「築城図屏風」画像、詳細はこちらをクリック(名古屋市博物館HP)
この屏風を見ると、たくさんの人でにぎわうまちの様子がよくわかります。店が立ち並び、芝居小屋も出ています。けんかする人たちも描かれていて、争いを防ぐための掟書が本当に必要であったということも納得できます。
また、屏風には巨大な石を引いている場面や植木を運ぶ人など、工事に参加する人々の様子も描かれています。
細川家の掟書とセットで見ることで、当時のまちの熱気が伝わってくるのではないでしょうか?
令和3年4月にリニューアルする「東御門・巽櫓」の展示では、こうした工事の様子なども含め、駿府城ができるまでの過程をパネルとジオラマで詳しく紹介していきます。
山から巨大な石を切り出す様子や石垣を積む様子をジオラマで再現するので、当時の工事がどのように行われていたのか立体的に詳しく見ることができます。
今回発見された細川忠興の掟書についてはこちらのパネル展示の中で紹介します。
このジオラマ展示については、製作の様子なども合わせて今後こちらのブログで詳しく紹介するので、楽しみにお待ちください。