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2020.07.16「令和元年度 駿府城跡天守台発掘調査の成果」発表!その4

本日は、「令和元年度 駿府城跡天守台発掘調査の成果」発表!その3の続きである、
天正期(豊臣方)天守台近くから出土した金箔瓦の特徴について紹介します。

金箔瓦とは、瓦の文様部分に金箔を貼り付けたもので、織田信長が築いた安土城や
豊臣秀吉が築いた大坂城、聚楽第(「じゅらくだい」または「じゅらくてい」)で出土しています。
金箔瓦が出土する城は限られていることから、信長や秀吉によって使用できる城は制限されていたと考えられます。(信長は息子のみ使用可。秀吉は一門+家臣も使用可)

金箔瓦は、織田と豊臣で金箔の貼り方の違いがあります。
織田は、文様の凹面(へこんだ部分)に金箔を貼り、豊臣は、凸面(出っ張った部分)に金箔を貼っています。

天正期天守台の近くから大量に出土した金箔瓦には、織田の特徴を持つ軒丸瓦と、
豊臣の特徴を持つ軒平瓦があります。

IMG_4930.JPG
【駿府城出土 軒丸瓦(凹面に金箔が貼ってあります)】


軒平瓦2-1(金箔瓦) - コピー.JPG
【駿府城出土 軒平瓦(凸面に金箔が貼ってあります】

また、軒丸瓦の文様は、信長が城主だった安土城から出土した軒丸瓦の文様と類似していることも判明しました。
軒丸瓦 (2).JPG 【駿府城出土の軒丸瓦の文様】


なぜ、駿府城は織田と豊臣の特徴を持つ瓦が混在して使われたのでしょうか。
また、秀吉の家臣になっていたはずの家康の駿府城に、なぜ織田の特徴である文様の凹面に金箔が貼った瓦があるのでしょうか。
IMG_1062.JPGのサムネイル画像 【駿府城出土金箔瓦】


「令和元年度 駿府城跡天守台発掘調査の成果」発表!その3 に掲載した内容と合わせて、
他の城との更なる比較検討や、文献史学の研究の進展が待たれます。

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