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文化財ブログ
2018.01.26「城郭専門家が見る駿府城」第2回を開催しました
平成30年1月21日(日)、駿府城公園紅葉山庭園の茶室と発掘現場にて、公益財団法人日本城郭協会理事の加藤理文先生にご講演いただきました。定員80人に対して1.9倍の152人の申し込みがあり、12月の第1回を上回る盛況ぶりでした。
前回は滋賀県立大学の中井均先生に全国の天守台と駿府城天守台の比較をしていただきましたが、今回は駿府城天守の変遷と金箔瓦についてご講演いただきました。
【今回も満員御礼でした】
天守など城の建物を建築する際には、短い期間で建てなければならなかった等の事情から、廃城となった城の建物をそのまま移築するか、建築部材をリサイクルして建物を建てていたと考えられており、移築で作られた城の一例として山城国淀城が挙げられました。中井先生の講演でも駿府城天守台とほぼ同様の構造(天守台の最上部(天端:てんば)目一杯に天守を建てるのではなく、中心部に天守を建て、隅櫓等を設置する「天守丸構造」と呼ばれる珍しい構造)を持つ城として紹介されています。
淀城は、当初木幡山伏見城天守の移築に合わせて天守台を作っていたところ、急きょ慶長二条城天守が移築されることになり、天守台に比べて建物が一回り小さかったことから苦肉の策として駿府城と同じ構造が採用されたようです。
二人の先生の共通の見解として挙がっていたのが、駿府城の場合、天守台の規模に合わせて天守が作られていればとてつもなく大きな建物となっていたと想像できますが、淀城と異なり新築であったのにも関わらず天守丸構造を採用したのは、当初家康は天端いっぱいに天守を建てるつもりで計画していたが技術的に難しかった、あるいは建設途中の慶長12(1607)年12月に火災で焼失し材料が足りなくなった等、何らかの理由で断念したのではないかということでした。
天守については資料が残っておらず分からない部分が多い中、全国の城のデータを基にした考察を聴くことができた講演会だったと思います。先生方ありがとうございました。
【今回は天守台北辺側から現場解説】