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2017.07.04金箔瓦を発見!一般公開します!

ある日、作業員が昨年12月に出土した瓦を洗浄していたところ...なんと金箔がついている瓦を発見!軒平瓦(のきひらがわら)の文様面の一部に金箔が残っており、接着には漆が使用されていました。
【発見された金箔瓦】
金箔瓦 - コピー.JPG
↓金箔面を拡大
瓦拡大.jpg

【一般的な軒平瓦】
一般的な瓦 (1).jpg

駿府城跡では過去に3点の金箔瓦が見つかっており、以前のものには凹部に金箔が見られ、今回の瓦は凸部に金箔がありました。2種類の金箔瓦があることの意味については不明ですが、いずれの瓦も徳川家康による可能性は低く、豊臣氏と関係があった可能性が高いと考えられます(天正18(1590)年~慶長6(1601)年に在城した中村(かず)(うじ)によるものでしょうか)

発見された金箔瓦は保存処理が終了したため、平成29年7月7日(金)より「発掘情報館きゃっしる」で公開予定です!慶長12(1607)年の大修築より前の駿府城(天正期駿府城)の姿は現在ほとんど分かっていないため、貴重な手がかりの一つと言える瓦をぜひご覧くださいね!

【保存処理の様子】

今回は、パラロイド(薬剤)とキシレン(溶液)を使用しました
保存処理①.JPG

何度か重ね塗りをして金箔部分を保護します
保存処理②.JPG



【参考】金箔瓦や駿府城に関する基礎知識

<金箔瓦について>

織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく:織田信長、豊臣秀吉とその配下の大名が築城した城の総称)に使用され、安土城や大坂城などで出土している。瓦の凸部または凹部に金箔が貼られている。

<駿府城の築城時期>
大きく分けて2回

(1)天正期 天正13(1585)年~ 

五カ国領有時代の家康が築城開始し、江戸に移る天正18年(1590)まで在城。

(2)慶長期 慶長12年(1607)年~ 

大御所となった家康が全国の大名に工事を命じる天下普請によって修築。元和

2(1616)年に亡くなるまで在城。

【家康が亡くなるまでの歴代城主】

天正14(1586)年~天正18(1590)年 徳川家康

天正18(1590)年~慶長6(1601)年  中村(かず)(うじ)(豊臣方武将)

慶長6(1601)年~慶長12年(1607)年 内藤(のぶ)(なり)(徳川一門)

慶長12年(1607)年~元和2(1616)年 徳川家康

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