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2015.03.05今川氏こぼれ話~義元討死の一報を駿府に知らせた男~

現在、静岡市役所本館1階の市民ギャラリーで開催している

さきがけ企画展「今川氏 駿府を愛した戦国大名」。

       

その中で紹介しきれなったお話です。

       

25,000あるいは45,000人ともいわれる大軍を率いていたにもかかわらず、

織田信長の軍勢に敗れ、あえない最期をとげた今川義元。

IMGP9051.JPG 桶狭間古戦場の今川義元像

        

その知らせをいち早く駿府に伝えたとされる人物がいます。

小林作兵衛という男です。

       

藁科川上流の清沢地区。その中でも、とくに山深い場所に

峰山という集落があります。

IMGP9731.JPGのサムネイル画像

          

その峰山に、次のような伝承があります。

      

峰山の集落を開いた小林作兵衛は、今川義元の家臣だった。

永禄3年5月、織田信長との戦いで義元が討死すると、

作兵衛は、東海道を馳せくだり、

駿府にいた嫡男今川氏真にその一報を知らせた。

その後、甲斐武田氏に命を狙われたため、

藁科川を登って峰山にひそみ、

今川氏再興の機会をうかがっていたのであるが、

ついに病死してしまった。

      

峰山には、今もその末裔の家があって、

小林作兵衛の墓も残されています。

小林作兵衛墓.JPG

        

この伝承を裏付ける資料は見つかっていないので、

あくまで言い伝えなのですが、

峰山という集落の開発伝承に、

桶狭間の戦いが結びついていて、

今も、そのお墓が大切に守られている。

     

徳川家康の伝承に隠れて

あまり知られてはいませんが、

市内にも、こうした今川氏にまつわる言い伝えが、

残されているのです。

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