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文化財ブログ

2014.06.03駿府の製材職人:木挽たちの営業許可証 ~「大鋸町」の歴史と由緒~

静岡に江戸時代から続く町名があることは【徳川家康 大御所と駿府城下町】の中でも触れさせていただきました。みなさんもよく知る町の名前にも江戸時代から続くものがあるのではないでしょうか。ところで、様々な職業名が付けられた駿府の町の名前、その付けられている職業をみなさんはご存じですか・・・?

たとえば、「大鋸町(おおがまち)」と聞いてどんな職業の人が住んでいたか分かる人は、なかなかいないのではないでしょうか。「大鋸」とは木材を木目に沿って縦に切る大型の鋸のことで、鋸を使う職業といえば・・・

大工さん!!!

・・・でも静岡の地図を開いてみると、実は大工町は「大鋸町」のすぐ横にあるのです。大工でないとすれば、「大鋸町」とはどのような職業の人が住んでいたのでしょうか。

大鋸町.jpg
■西寺町大鋸町の町名碑 玄忠寺(静岡市葵区)脇

江戸時代の終わりに編纂された地誌(地域の歴史などをまとめた図書)『駿河国新風土記』を調べてみると、「大鋸町」の記述に「大鋸町と名づくるは木挽を業にする者の住める所を以てなり」とあります。
つまり、この地域には「木挽(こびき)」と呼ばれる人々が住んでいたのです。「木挽」とは今でいうところの製材業のことで、山で切り出してきた木材を使用する形や大きさに加工する職人のことを指しました。

木挽棟梁平左衛門家(葵区個人宅)には、江戸時代に書かれた家の由緒や町の規則を書いた古文書、明治時代に作られた「木挽鑑札(こびきかんさつ)」(営業許可証)が残されています。江戸時代の古文書から、遠江に住んでいた平左衛門の祖先が、家康の駿府移住とそれに伴う駿府城の改修にあたって修築に参加するために、職人たちを連れてこの駿府に移って来たという由緒を持っていることがわかりました。
また、この家の所蔵する古文書と関連資料を照合した結果、平左衛門家は宝永地震で被害を受けた駿府城の修理にも木挽棟梁として関わっていたことが判明しました。

鑑札.jpg 古文書.jpg
           ■平左衛門家の由緒が書かれた古文書

また、鑑札からは明治時代までこのお宅が駿河国(現静岡県中部)の木挽を取り締まる役についていたことがわかりました。鑑札の受け取り人は、駿府では大鋸町や本通八丁目、そのほか下川原や瀬名新田、庵原や横砂などの現静岡市内域をはじめ、八楠(現;焼津市)、上当間(現;藤枝市)などがみえ、平左衛門家が広範囲に分布する木挽を取り締まっていたことがわかります。この鑑札が発行者であるこの家に残されている理由は不明ですが、静岡における木挽、製材業の歴史を知るうえで貴重な資料といえます。

木挽鑑札_02.jpg 木挽鑑札.jpg
                    ■木挽鑑札

静岡市街地は昭和15年(1940)の静岡大火、昭和20年6月の静岡空襲によって大きな被害を受け、多くの歴史資料が失われました。これまで長い間静岡の歴史を知ることのできる古文書や古美術品などの歴史資料の多くが、この二回の災害によって焼失し、これ以上の発見は無いとされてきました。しかし、近年の調査によって、焼け残った蔵や他家に預けてあった資料などが数多く残されていることがわかってきています。駿府の町を知る手がかりは、まだまだこの町の中に埋まっているのかもしれません。今後もこうした調査を通して、駿府の町や人々のすがたを明らかにしていきたいと思います。

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